OBインタビュー
相馬直樹(美術)

だからリアリティがあるんですね。生活とともにある美術。
美術をやっていて、どの瞬間が一番うれしい瞬間なんですか?
相馬:自分の美術、デザインプランに対していろいろな部分がはまったときですね。様々な要素があるので、はまらないこともあるんですよ。あえて日陰にしたいから窓の横にむりやり何かをつくったり…他の部署との兼ね合いもあるので、バランスを考えて家の美術が変わることもあります。それでも、スタッフ全員がつながった瞬間に幸せを感じますね。 確かに、様々な撮影の要素がそのロケ地には関わってきますもんね。
映画が完成したあとはどうですか?
相馬:観た後に毎回100%、ああすればよかったって後悔しますね。見ていて恥ずかしくなるので、見たくないときもありますよ。 相馬さんでもそうなんですね。奥が深い・・・ 相馬:経験なんですよね。いろいろなところに行かないといけない…こう偉そうに言ってるけど半分もできてないけどね。最近は優秀な部下が頑張ってくれてて・・・僕のアシスタント活躍してるんですよ。自分だけでやっていると、自分の経験に添ってというだけになっていくので、色々な人が入ってくるのが刺激になります。女性スタッフも多くアシスタントにつけています。僕にないものを持っているからね。女性の感覚がはいるとどうなるかというのも大事だと思っています。 アシスタントとはどういうコミュニケーションをとっているんですか? 相馬:まずは平面図を描いてデザイン画を描く。で、それを提示します。ただ、これはみなさんの指針のためのものだから、これにしなくてはならないという意識は捨ててください伝えます。そして、俺のデザイン画以下のものはつくるなという話をします。 美術になる人って最近は減っているんですかね? 相馬:減っていますね。「美術」っていう職業を知らない人も多い。僕も知らなかったし・・・テレビのバラエティセットを作る人という認識はあるんだけど、「装飾部」と「美術部」ってあるんですが、一般の人はその違いもなかなかわからないですよね。 確かに。「装飾部」と「美術部」どうちがうんですか? 相馬:美術はセットを作る時に、全体のセットを立ち上げます。抜けにグリーンがあったり、家があったり、空とか背景があったり…装飾部はその中を飾るデコレーターですね。そういう役職の分担があります。でも、実はあまり分けるのは好きじゃなくて一緒にやろうという意識はありますね。僕のデザイン画って装飾が描いてあるじゃないですか。 そうですね。イメージがパッとわかります。 相馬:お洒落なソファが欲しいって描くけれども、そのままがくることはないし、むしろこれよりいいものが欲しい。装飾部の方が最先端の会社とかいつもチェックしてるのは装飾部ですしね。造園に関してもこういう桜の木が作りたいけれど、桜の特性をわかっていないと…。葉っぱの向きは必ずこうだとかあるわけですよね…そういう部分は特化してる人がつくってくれる。美術としてはこういうイメージで作りたいからという全般をまとめるというイメージですね。建物をたてるのは大道具だし、塗るのは塗屋、雪を降らすのは操演部とかそういうのも含めて美術として、どういうプランニングをしてくかということです。 そう考えると美術の中の“監督”の立ち位置なんですね。
様々な部署やアシスタントと連携しないとできない…
相馬:僕の場合は、日本一助手につきあげられるデザイナーといわれてますけどね(笑)でも、失敗したとしても僕が責任をもちますという気持ちではやってますね。それをしないとやってくれないですよ。僕の師匠はそうだったんで。それで、師匠についていこうと思いましたね 素敵な師匠ですね! 相馬:そうじゃない人についていたら辞めていたかもしれないですね。全部僕がやっているのに、うまくいったときは自分がやったっていって、彼が自分でやって失敗すると俺を怒るんですよ。そういう人がいっぱいいる。それも見ていて、それがずっと続くんだったら絶対やめていた。 そういうこともありますよね・・・出会いですね。
本広監督とも多くの作品をやっていると思いますが、どのような出逢いで?
相馬: CMを多く手掛けている時があって、CMの美術には映画もやっている人っていうのが当時あまりいなかったんです。で、僕はリアルが好きだったんで、プレイステーションのコマーシャルの美術をリアルにつくりあげたんですよね。そのCMが当たって一気に色々なところから仕事が来ました。制作会社のROBOTで映画の『海猿』をやることになったりして、そのときにたまたまROBOTに所属している本広監督と会うんですよね。そこで、『サマータイムマシン・ブルース』の美術をやることになって。CMが忙しかったから、「四国オールロケか〜。え~。」って思ったんですけどね。(笑) そこから次に『交渉人真下正義』をやってくれないかといわれて。