OBインタビュー
川越一成(キャメラマン)

本日はよろしくお願い致します!
川越さんがカメラマンになるきっかけは?
川越:実家は青森の八戸市なんだけど、小学生のときからテレビっ子でドラマばっかり見ていて、おもしろいなあと思って、こういう仕事に携わりたいなと思ってた。亡くなった田宮二郎さんの『白い巨塔』や、『天皇の料理番』というTBSのドラマが印象に残っているかな。それを見て、いいなあ、素敵だなと思った。 なかなか渋い小学生ですね(笑) 川越:そうだね(笑) それから『白い巨塔』に関しては自分が撮影を担当することができて感慨深いね。たまたま堺正章さんと仕事をしたときに、「実は『天皇の料理番』を見て・・・」って話もさせてもらったよ。 当時小学生の頃すぐにカメラマンになろうと思っていたんですか? 川越:まずはとにかく作品にと思って、その後どういった形で携わるかとなるじゃないですか。でもその時に監督にとはならなかった。テレビとか映画とか映像媒体って、まず映像がでるでしょ。監督の演出とかじゃなくて。画がでる。だから、カメラマンになりたいとすぐ思うようになったんだよね。 小学校の時からの夢が叶っているってことですね。凄い! 川越:子供の時だったから、もちろんこういう画をとっているという細部まではわからなかったけど、目指すことになってずっと考えてた。卒業した後に専門に通って勉強しながら現場に出て… 専門では、カメラマン専攻だったんですか? 川越:色々学校にも科があって、映像コース、カメラマンコースといったのをとってたかな。 学生時代もカメラマンとして学生映画を多く撮られていたんですか? 川越:学生時代にいろいろやったんだけど。いっぱいいっぱいだったんで、あんまり覚えてないんだよね(笑) 専門学校にも通ってたから、課題も出るし、それに向けてチームを作って、課題を撮るというようなのもやったかな。そのときは、カメラもやったけど、今見たら全くアマチュア以前の問題だったと思うよ。 そんな時代が川越さんにもあったんですね。 川越:もちろんもちろん。 本広監督とはどのように出会ったんですか? 川越:本広さんとはじめて会ったのは、深夜で『上品ドライバー』をやっていた時かな。監督とは『世にも奇妙な物語』のレギュラーシーズンで会ったりとか、深夜枠でドラマとか、2日で1本とかそんな大変なものもやっていた頃だね。それが初チーフカメラマン26歳の時だから28年前かな。 26歳でドラマのチーフカメラマンをやるって凄い!珍しいですよね。 川越:そうだね。普通に考えたらカメラマンは30歳ぐらいからかなと思う。早くやらせてもらった分プレッシャーもあったけど、今思うと早くそこまで到達できていたのは自分の中ではいい糧になっているかな。昔は2時間ドラマが多かったり、『世にも奇妙な物語』のようなショートの作品や深夜ドラマとか若手の登竜門的な作品が多かったから、若い同じ世代同士があーでもないこーでもない言いながら予算も時間もないながらにやっていたという記憶があるな。 いいですね。最近は少ないんですかね。 川越:2時間ドラマをやると1冊の本で起承転結があるのから、連ドラでセカンド、サードよりもひとつの作品を頭から最後までやったほうがいろいろ勉強できて、成長につながるのかなって思う。