OBインタビュー
岸野由佳子(編集)

本日はよろしくお願い致します。
早速ですが、プロの編集の仕事ってどんな仕事ですか?
岸野:自主制作を映研で今やっている子たちはイメージがつくかな? 繋ぎ方ひとつによって物語の見え方が左右される、地味だけどめちゃくちゃ重要な仕事です。いい素材があってもダメなカッティングをしたら素材が死んじゃうわけだから、よりよくすることもできるし、だめにすることもあるという怖い仕事ですね。 基本的にはひとりでやってる仕事ですもんね。 そう。自分自身の決断ひとつで左右されてしまう部分もあって。ワンカットごとに監督と一緒に直すというわけではないので、基本的には編集マンに渡されて、しっかり見て形にしたものに対して、監督とディスカッションしていくという形をとります。なので、私が編集の時点で捨ててしまったものは監督すら見ない。現場では見ているけど、全部記憶しているわけではないから、最初の時点でこれは違うと捨ててしまったものは日の目を見ることがない素材になってしまう。 責任重大ですね。 はい、取捨選択が責任重大で怖いなと思いながらやっています。 映研でも編集を主に担っていたんですか? 岸野:映画づくりに触れたのが、映研で。その時は、自分で脚本を書いて撮影もして編集もして監督もして全部やってました。 編集マンになったきっかけは? 岸野:先勝大学では、日本画を描いていたんです。でも映研に入ってやっているうちに、「映画つくるの楽しい」ってなって。 絵画系に行く道もあったんですね。 岸野:芸術科専攻だったのでありましたね。授業では日本画を描いていて、映画は映研でやっていくうちにどんどんそっちに本気になっていっちゃって、自分の作品をコンペに出したりしているうちに「監督にならないの?」と言われたりもしました。でも、私はイチから生み出すことよりも、撮ってこられた素材をつないでどうするかという編集という工程自体がいちばん楽しいって気づきました。 大学時代に編集が楽しいと思ったってことですね! 岸野:そうそう。映研メンバーとOGが一緒に映画を撮ろう!っていう機会があって、OBの方が監督で私は編集マンだったんです。それまでは自分が撮って編集していたからやりたいようにしていたけど、監督がやりたいことに対して自分が編集でどう答えるかというやりとりが楽しくて。今の仕事の疑似体験みたいな感じでしたね。はじめて経験して仕事にしたいなと思って、今いる会社(バスク)を受けたの。めでたく受かって上京しました。当時も部室で夜中までひとりで編集してましたが、今とそんなに変わらないですね。 やり方ですが、監督から設計図として、カット割りを整理した本がくることがほとんどですよね。 岸野:一般的なやり方としては、監督が割ったカット割り台本があって、それを設計図として「こういうカット割りということは監督はこういう意図なんだなあ」と読み取って、素材を実際見て自分で組み立てていって、自分なりに違うところを修正していったりしますね。 ただ、実は先日やった作品は、現場で自由にエチュード(即興劇)で難しかったです。 それは大変ですね! 岸野:そうなんですよ。最初に現場を見学に行ったとき監督に会った瞬間に「好きにやってよ」って言われて…「エチュードとか芝居とか演劇風の好きでしょ」って! 実験的で、面白い作品ですね。やりがいがあるというか。 色んな監督がいて、作品がある。 岸野:監督によっては俺についてこいタイプとか、割とかも指示通りにやってほしいという人もいるけれど、その監督は自由にやって!任せるから!というスタンスでいてくれるから「120%出さなきゃ」っていう気持ちに自然となって。人たらし、というか全ての演出が上手いんだなと思いますね。 監督によって事前に準備をするんですか? 岸野:過去の作品を見ることもあるけれど、重要視はしていないかもしれない。まずは監督の意図も汲みつつも基本的には自分が一番いいと思う編集に持っていきますね。見て違うと言われたらそこはしょうがないので、違うということに対しては話し合って直していけばいいし、最初の編集で作品が完成するわけではないから、最初に見せる段階は私が「これがいいと思います」というのを見せますね。最終的なゴールには一緒に話し合って直していって作品が一番いい形になればいいと思ってます。 なるほど。 岸野:監督がこう思うだろうなというのは、ただ私の想像であって…割通りにつなぐというのも監督の想像であるので、それをゴールにしていたらそこから先にいけないというか…監督の期待値を下回るのはもちろん最悪だけれど、割通りにつないだとしても監督が思っているところまでしかいけない。新たな自分の何かを加えることによって、監督も想像していなかったけれど「それ考えてなかったけどいいじゃん」となれば最高の形ですよね。